• 食堂とだか|「孤独のグルメ」から飛び出したような、東京最高の食堂

    東京には予約の取りにくい店がたくさんある。しかし2030年まで満席という場所は、東京でも、いや日本全国でも、めったにない。

    五反田に、食堂とだかという小さな居酒屋がある。「孤独のグルメ」シーズン6にも登場したあの店だ。予約不可能で、しかしどこか魔法のような場所——まさにそれだ。

    大将の戸高公平さんは鹿児島出身。家業を継ぐ予定だったが、両親の後押しを受けて、心を捉えて離さないレストランの世界へと踏み出した。

    2015年、31歳のとき、自身の貯金350万円(当時のレートで約20万元未満)を元手に、五反田の半地下に一軒目の店を開いた。

    コンセプトはシンプルで、しかし大胆だ:「誰も予想しなかった組み合わせを、日常の食材で作り出す」。

    雲丹の半熟卵

    食事は、今や食べログでこの店の「顔」となった一品から始まる:雲丹の半熟卵といくらだ。

    一見、これ以上ないほど日常的な日本食材の組み合わせ——卵、鮭の卵、雲丹。「一口で全部食べてください。いくらがお皿に落ちたら、次の料理に混ぜて食べてくださいね」

    虜になるのは当然だ。見慣れた風味が、全く新しい何かへと組み替えられている。

    少し弾力のある白身がとろっと濃密な黄身をそっと包む。いくらがひとつひとつ弾けて、塩気のある旨みで口全体を明るく灯す。雲丹は柔らかく塩気のある甘さの毛布のように上に横たわり、濃厚だがしつこくない。幸福感は素早くやってくるが、層は展開し続ける。

    シェフが「夕食はいまから始まる」と、真剣に告げているような一品だ。

    白子の丼

    自らを「食堂」と名乗っておきながら、この白子の丼は何も食堂的ではない。虎河豚の白子を白飯の上に使うのは、もはや反則だ。

    白子は舌に触れた瞬間に溶ける——濃密で、きめ細やかで、クリーミーで、ほんのりとミルクのような塩味を帯びている。葱と紫蘇が香りを重ねる。最初の料理で残ったいくらを混ぜれば、ご飯が海と脂の両方を吸い込み、それでも軽い歯ごたえを保つ。食べ終わる頃、ほんの少し遅れてくる辛みのアクセント。

    「一口で終わる」雲丹の卵と違い、この丼はゆっくり、一口ずつ食べたくなる。咀嚼するほどに満足感が増す。

    二品立て続けに、どちらも即座の名品。

    焼き葱・鮪の骨だし・鶏つくね

    焦げ目のついた甘い葱。鮪の骨から取っただし。柔らかな鶏のつくね。澄んでいて、集中していて、温かく、旨みに満ちている。

    これほど小さな居酒屋なのに、器の選び方には一種の「カウンタースタイルの美意識」が宿っている。

    ドリンクメニューも慎重に構成されている。葱、シュワシュワする泡系が多め——ビールは複数の選択肢がある。それからハイボール、そして生姜を使った様々なウォッカベースの飲み物。しかし最も驚いたのは、鹿児島という戸高さんのルーツを色濃く映した本格焼酎のラインナップだ。これがまた、料理によく合う。

    最終的に、食堂とだかには一つの確かな方程式がある:日常の食材 × 料理人の想像力 = 期待を超えた一皿。その等式を毎回成立させ続けているから、2030年まで予約が埋まるのだ。

  • 赤坂 おぎ乃|凛とした品格、銀賞懐石

    1月の日本は新年の祝祭ムードに包まれている。多くの馴染みの店では「明けましておめでとうございます」という言葉が流れるように交わされる。しかし、新年の雰囲気を料理と空間の両方に本当に織り込んでいる場所といえば、やはり懐石料理店がその本命だ。

    今回訪れたのは、新年の余韻が漂う時期の赤坂 尾ぎの。2020年開店、2023年の食べログアワードで「ベスト新人賞」を獲得し、その後も安定した銀賞を維持している店だ。

    多様な経歴をもつ現代の東京の料理人たちと比べると、尾ぎの大将の歩みは実に一本筋が通っている。嵐山 吉兆から始まり、銀座 小十系譜の二店を経て、自身のカウンターへ。正統派の和食という道を、ひたすら垂直に深掘りしてきた職人だ。

    その血筋が生み出すのは、説明不要の古典的な格調だ。

    蕪だし|白甘鯛|百合根

    ディナーは大将が鶴の形の器から各席に濁り酒を注いでくれる場面から始まった。「酒に祝いを注ぐ」という行為がそのまま新年の主題と重なり、完璧な幕開けだった。

    最初の一品は宝船の器に盛られ、より祝祭感を高める。蕪、白甘鯛、百合根は非常に抑制された味付けで、しかし風味と食感は層を重ねながら展開する。静かで、洗練されていて、噛むほどに変化する。ひと口の中に伝統と品格が静かに宿っていた。

    伊勢海老|ブロッコリー|林檎ジュレ

    松葉蟹のお椀

    新年の視覚言語は器にも続き、次のひと皿は鶴の文様で届いた。伊勢海老は約20%の火入れで、柔らかく甘みが深い。海老の卵と林檎酢のジェルに包まれ、澄んだ旨みと明快な酸味が美しく交錯する。

    口直しの漬物が鮮烈な食感と酸味のアクセントを添え、非常に優れた一品だった。

    お椀は松葉蟹のしんじょうに餅を重ねた構成で、食感と見た目の両方から正月のシンボルを補強する。予想外にも、餅の絹のような柔らかさが、しんじょうのふわふわとした弾むような蟹の風味と完璧に呼応していた。口当たりは澄んでいて、後味は丰かだ。

    稲藁炙りの鯖|隠岐のイカ

    尾ぎののカウンターは、客と厨房の距離が異様に近い。だからこそ、技の瞬間がダイレクトに届く。稲藁に火を入れて鯖の皮目を炙る場面は、目の前で炎を見て、香りを感じ、そして口に入れたときに「煙が調和に変わる」という体験になる。

    漬けマグロ|卵黄醤油|海苔の佃煮

    次は山芋のすりながしと卵黄醤油を添えたマグロ。すき焼きを生卵で食べるときの幸福感に近い、濃密で深みのある満足感だ。

    この店は「満足感」という言葉をまっすぐな方法で引き出すのがうまい。しかし決して重くならない。料理は軽さと豊かさの間にある、非常に細いラインを歩いている。

    いまはまだ「この店はすごい」という絶対的な確信を抱くほどには通い込んでいない。でも、次の季節にもう一度訪れてみたいという気持ちは自然に芽生えた。それが正しい感覚だと思う。