• 馳走 西健一

    馳走 西健一は、食べログ金賞店の中でもとりわけ面白い一軒だと思う。

    広島出身の大将・西健一氏は、東京とフランスで修業を積んだのち、駿河湾と遠州灘という食材の産地に限りなく近づくため、自らの店を静岡県焼津市へと丸ごと移した。

    良い食材を店や故郷に運ぶ工夫をする料理人は多いが、自分の店ごと産地目前の小さな町へ「引っ越し」、しかもそこでフレンチをやると決めるには、それなりの覚悟が要る。

    すべての始まりは、西氏がまだ広島にいた頃、焼津の老舗鮮魚店「サスエ前田魚店」と接点を持ったことだった。

    彼の心を動かしたのは、前田尚毅氏の魚への理解だった。漁師の選び方から、卸しの判断、扱い方、流通にかかる時間、厨房に入る直前の状態まで——すべての工程が、魚を最良の柔らかさと風味で食卓に届けるという一点に向かっている。

    西氏が静岡で「その日に水揚げされ、その日に店へ入る」魚を口にした時、流通時間がたった一日違うだけで魚の味がまったく別の次元になり得ることを、初めて本当の意味で理解したという。そして彼は迷わず広島の店を畳み、焼津へ移り、2022年に現在の「馳走 西健一」を開いた。

    翌年には🥉食べログ銅賞を獲得し、その後すぐに🏅金賞へと駆け上がり、2026年には「ベスト・ローカル・レストラン」にも選ばれている。

    カウンターは8席のみ。客は全員同時に着席し、食事は一斉にスタートする。西健一のカウンターは、異様なほど静かだと言っていい。

    大将はさほど雑談も交わさず、視線を合わせることもほとんどなく、ただ料理に集中している。アシスタントとのやり取りもほぼ聞き取れないほど小さい。だが、幕開けの一皿は、それだけで胸の奥を突くほど美味しい。

    温かい茶碗蒸しから始まる。柔らかな卵の表面に浮かぶのは、あさり、そら豆、菜の花——一目で春だとわかる。

    野菜の清々しい香りが、あさりの弾力ある甘みと口の中で重なり合う。卵そのものは極めて繊細で、まるでこれらの食材をそっと支える舞台のように、それぞれの風味をくっきりと感じさせてくれる。個性がはっきりしていながら、温度と食感の絡み合いによって見事なバランスの一体感を成している。

    アジは黄金色に揚げられて登場する。表面はきれいにカリッとしていながら、中はしっかりと柔らかさと水分を保っている。だが本当に印象的なのは、皿の底に敷かれた鮮やかなトマトソースだ。

    糖度12度の掛川産トマトを使用しており、それ自体がすでに果実に近い甘みを帯び、風味がぎゅっと凝縮されている。ソースにしても重さはなく、透明感すら漂うほどのすっきりとした甘みと明るいトマトの香りを見せる。

    繊細で柔らかく、それでいて抑制の効いた力強さがある。

    そしてすぐに、産地に限りなく近い食材ならではの強みを見せつける展開へと続く。

    その朝水揚げされたばかりの鯖を、ヒッコリーで軽く炭火焼きに。火入れは極めて浅く、魚の状態を変えるというより、そっと温もりと香りを一枚まとわせるような感覚に近い。

    魚肉は驚くほど締まっていて、質感は純粋そのもの、雑味は一切ない。高い鮮度は単なる「新鮮さ」にとどまらず、口の中でゆっくりと広がる清らかな余韻の甘みとなって現れる。

    上に添えられたピクルスオニオンの酸味の判断が実に見事だ。みずみずしくシャキッとしていながら、ほのかな清涼感も帯び、魚の一口ごとに旨みと脂を断ち切っては、全体のリズムをより爽やかで、より重層的にしてくれる。

    続いて、焼津地元産の horse mackerel(アジの仲間)を使った、実に特別な鱗焼き。多くの店が金色の鱗が皿一面を覆う視覚的なインパクトを追う中、西健一はあえて皮つきのごく一部だけを使い、大きな身をそのまま皿に自然に横たえ、透き通るような桃色を保たせている。

    皮はちょうどよい香ばしさに焼き上げられ、小さな鱗が軽やかな食感を支えている。魚はマスタードシードのソースにくぐらせて口へ運ぶと、脂の豊かな風味のあとに甘みがゆっくりと伸び、油っぽさのない清らかな余韻だけが残る。

    添えられた野菜の新芽たちも負けていない。大将がカウンターでさっと炒めたもので、火入れは極めて軽く、野菜本来の瑞々しさと鮮度を保ったまま、皿全体にほのかな清涼感を添えている。

    蒸したホウボウは、身が締まっていながらも柔らかく、繊維の感覚がはっきりとしている。添えられたエビ味噌ソースは澄んでいて濃厚、雑味は一切なく、海の旨みをまっすぐに増幅させている。傍らの小さなトマトはかすかな燻香をまとい、皿の底に敷かれた白アスパラガスも負けじと、甘く柔らかいながらも清らかな歯ごたえを支えている。

    パンを手に取り、皿の底まで拭い取った。

    実に優しい一皿だった。攻めっ気のない美味しさなのに、深い満足感が残る。

    活締めの甘鯛は、より伝統的な鱗焼きを見せてくれる。意外にも、大根おろしと赤ワインソースが添えられていて——聞くと突飛に思えるが、口に入れると見事に理にかなっている。

    皮は鱗焼き特有の香ばしさとパリッとした食感をまとい、身は十分な脂とみずみずしさを保ち、火入れにはほぼ非の打ち所がない。ソースは脂を断ち切りつつ、清らかな酸味も引き出し、皿全体を実に心地よいバランスへと着地させている。

    すべてが、ちょうどいい。

    本日の看板の魚パイには、花鯛を使用。

    パイ生地は無造作な黄金色と軽い焦げ色をまとい、切り込んだ瞬間に軽快に砕け、その音だけで期待値が最高潮に達する。中の魚は絶妙な柔らかさで、水分と弾力が実に心地よい状態にコントロールされている。何より見事なのは、魚の水分がパイの中にしっかり閉じ込められていながら、生地の香ばしさを一切損なっていない点——技術が細部に隠されている。

    キャラメリゼした玉ねぎがしっかりとした甘みと香りを支え、紫蘇がその中にほのかな清涼感を添え、全体の風味が重くなりすぎるのを防いでいる。

    風味は豊かでありながら、常にバランスを保っている。握りこぶし大の一皿は見た目こそボリューム満点だが、一口ごとに面白みが増していく。

    続いて、イカと大麦のリゾット風の一杯。意外な組み合わせに見えるが、風味と食感のコントラストを実に率直に表現している。

    イカの柔らかさはシャキッとした食感とみずみずしさの間にあり、はっきりとした薪火の香りをまとい、大麦の粒感に引き立てられていっそう力強く感じられる。大麦そのものの噛みごたえが、この一皿にリズムを添えている。米粒の中に忍ばせた海苔が海の香りをふわりと立ち上らせ、揚げたケールがもう一段パリッとした層を加え、食感をより立体的にしている。

    力強い燻香が、その裏に潜むかすかな風味と絡み合う——一見率直でありながら、細部には多くのものが隠されている。ひと口で気に入った。

    蜜漬けの苺の上に、点々と紅茶のソルベが散らされている。ひと口で、魚の世界に浸っていた一晩からそっと引き上げてくれる。甘酸っぱさと紅茶の香りが絡み合い、リズムが一気に軽やかになる。

    続いてミルクアイスクリーム、蜂蜜と合わせることでさらに柔らかな印象に。複雑な仕掛けはなく、ただ甘み、乳の風味、温度を実に心地よい状態に保っているだけ——純粋で、シンプルで、清らかな美味しさ。

    ちょうどこのタイミングで、大将はこの食事の中で最も「言葉数の多い」瞬間を迎える——アイスクリームの桶の底をすくいながら、各テーブルにおかわりはいかがですかと尋ねて回るのだ。

    それまでの数時間はほとんど余計なやり取りがなかったのに、この瞬間だけ急ににぎやかになる。料理が終わり、ようやく彼が話す番が回ってきた。

    「たった」九品のメニュー、そのうち六品までもが魚でありながら、異なる風味の組み合わせによって、心の底からの満足感を与えてくれる。もちろん、十分な満腹感も。

    これを食べログ金賞のフレンチと呼ぶより、フランスの技法と静岡の風土食材を完全に自分のものとし、魚を核として食事の構造そのものを再構築した料理人の仕事と呼ぶ方が正確だろう。フレンチの輪郭は確かに見えるのに、強い現代性を帯び、魚を中心に据えながらも、隅々まで明確な季節感を示している。

    さらに見事なのは、魚の表現が決して単一ではないということだ。

    脂、旨み、柔らかさ、香り、清らかさ、余韻の甘み……この小さなカウンターの上で、魚に属するさまざまな次元が絶えず解体され、異なる組み合わせで新しい層と構造へと再構築されていく。

    次の訪問が、もう待ち遠しい。

    馳走 西健一

    Wednesday – Sunday

    Lunch 12:00 | Dinner 18:00

    https://www.tablecheck.com/ja/shops/chisou-nishi-kenichi/reserve

    Chef’s Menu ¥2,2000++

  • 温石|極めて静かな強さ

    静岡への遠征は、一度でも行けば「来てよかった」と思わせ、次の訪問をすぐに予定に入れたくなる。

    そんなわけで、西健一を訪れてから一か月後、再び新幹線に乗り、ローカル線に乗り換え、タクシーで静岡県焼津へと向かった。

    目指すは🏅食べログ金賞の茶懐石、温石。

    「焼津という土地で、もっと良いものを作りたい」

    主厨・杉山乃互氏は、焼津出身の三代目料理人。高校時代から地元の重要な鮮魚店、サスエ前田魚店で魚の扱いを学んだ。卒業後は東京の名店・和幸で修業。地元に戻り、実家の老舗「温石」を継ぎ、19年に個室から板前形式へと改装、23年からは食べログ金賞を連続で獲得している。

    席に着くと、卓上にはラミネート加工された小さなカードが置かれていて、温石の板前ならではの「テーブルマナー」を丁寧な日本語で説明している。

    本当に極めて静かな板前だ。包丁を入れる音すらなく、板内の動きも極めて軽やか。飲み物を尋ねる以外、空間全体にほとんど言葉も物音もない。

    大根に巻いたアジ。身の質感と鮮度が実に立体的。大根、紫蘇、葱はただ軽く支えるだけで、味わいを引き締めている。三切れの小さな巻物は、食べるほどに満足感が増していく。

    ジンドウイカは火にほんの少しだけ炙ってある。一口目はパリッと、すぐに粘りのある柔らかさへと変わり、旨みが少しずつ口の中に広がり、細やかな甘みも伴う。鮮度の強さがありながら、香りは決して主張しすぎない。調味は控えめで、十分な優しさを残している。

    「これは今朝揚がったばかりのアジです」

    昼の12時50分、こんな熱々でカリッとした小アジを食べていると、幸福感がほとんど溢れ出てくる。衣は薄く、ちょうどいい香ばしさを添えるだけ。魚自体には十分な脂の甘みがあり、率直な甘さと旨みがぎっしり詰まっている。これだけの風味と脂があれば、思わず一杯欲しくなる。

    「これもアジです、ヒラアジ」

    板前があまりに静かなので、皆の視線は自然と杉山氏が魚を捌く動きに集まる。身のピンク色はまばゆいほどに鮮やか。調味はごく軽い柚子だけで、香りは繊細に、味わいを清潔に仕上げている。鮮度が前面に押し出され、抑制の効いた高級感がある。

    白甘鯛の椀物。身の締まりと高い甘みが、ゼリーのように口の中を滑っていく感触はいくら語っても語り尽くせないほど。ここではほんの少しの塩を表面にのせるだけで、魚本来の甘みと旨みをもう一段引き立てている。

    アオリイカと鯛の造り。食材そのものが持つ高い甘みと柔らかさは、見た瞬間からほとんど分かるほど。口に入れれば、質も処理の仕方も同じく美しく、清潔で精緻だ。

    魚が良いだけでなく、料理の腕もまったく引けを取らない。

    サワラはいつもながらの高い柔らかさと甘みで、繊細な脂の感じが炭火によってさらに穏やかになる。上にのった発酵葱は極めて繊細な葱属の香りを放ち、魚の脂をより引き締めつつ、植物性の清々しい辛みの層を加え、料理全体の香りと食感をより完成度の高いものにしている。

    その瞬間、広東料理の生姜葱風味の魚団子を思い出させる。似た組み合わせでありながら、まったく異なる表現スタイルだ。

    金目鯛の鱗焼きは、温石を代表する一皿のひとつ。

    板前では杉山氏の手技が見られる。炭火で焼いた後、魚をごく近い位置まで持っていき、いわば「顔を寄せる」ようにして余分な脂を追い出す。

    皮はパリッとして硬くなく、立った鱗の存在は口の中を一瞬でよぎっていく。中の身は半生の状態で、驚くほど柔らかく、旨みは繊細で、余韻の甘みが長く口の中に残る。

    そのまま食べても十分に完結しているが、白髪葱と実山椒醤油をつけると、また別の面白さが生まれる。清々しい辛香の層が加わり、金目鯛本来の柔らかさと甘みをより際立たせる。

    続いて、見た目は平凡な小さなアスパラガスも、実に絶妙な火加減で仕上げられている。ちょうどいいところで火を止め、香り、歯切れ、鮮度、柔らかさをすべて同時に成立させている。

    温石の「ご飯もの」は、静かに、しかし確実に満腹にさせてくれる。

    まずは桜えび飯。カリッと香ばしく揚げた桜えびは、一般的な店で見るものより一回り大きく、香りもより豊か。下の米は一粒一粒がしっかり立ち、ふっくらとした中に清水のような澄んだ感じがあり、桜えび本来の甘みとぴたりと合う。

    正式な主食は銀鯧と筍の炊き込みご飯。強火で真っ黒になるまで炙った銀鯧の甘い脂が、じわじわと米に溶け込み、鍋全体にまろやかな旨みの層を加えている。筍は味わいをふわりと引き上げ、澄んだ香りを立ち上らせる。

    追加のバリエーションも豊富。最後に選んだのは漬けサワラ丼。魚肉はほとんどゼリーのような滑らかさをまとい、歯の間で優しくとろけ、旨みは繊細で甘みも高い。

    誇張なく、最高峰のサワラ丼と呼んでいいだろう。

    料理が終わると、デザートは客自身が手を動かすDIY形式。杉山氏は厨房に戻り、この食事の最後を締めくくる大切な儀式の準備に入る。

    静かに、一人ひとりの客のために抹茶を点てていく。

    この締めくくりも、食事全体と同じく静かで、抑制が効いていて、始まりと終わりがはっきりしている。その完結感は、流れへの丁寧さだけでなく、杉山氏がリズムと温度、そして塩梅を見事に制御していることによるものだ。食事の記憶は幾重にも積み重なりながら、常に軽やかに扱われている。

    技巧をひけらかすことも、産地をことさら強調することもほとんどなく、表現そのものすら音を立てない。しかし出てくる一皿一皿は、極めて良い状態の食材、精密な火入れ、そして深い料理の技によって、実力を皿の上にしっかりと乗せている。

    優しく、抑制が効いていながら、終始力強い。

    食材が最良の状態にあり、料理は最も適切な瞬間に手を止める。だからこそ食事全体が成立する。これがおそらく、焼津の茶懐石店・温石ならではの、なかなか真似のできない魅力なのだろう。

    茶懐石 温石

    Monday – Saturday

    12:30 – 15:30

    18:30 – 21:30

    Chef’s Menu ¥24,000++